星たちの下で歴史を刻む

141字以上話したくなった時に使います

ある1人の小学生が伊野尾担になった話

2日遅れですが、自担である伊野尾くんがデビュー10周年イヤーの入所記念日を迎えました。

そういえば私がどういう経緯で伊野尾担になったか細かくお話したことはなかったなと思ったので、書き留めてみようと思います。

(たださすがに記憶が曖昧な部分もあるので、もしかしたら事実と違う部分も一部あるかもしれません。ご了承ください)

 

1999年11月3日。嵐がデビューしました。

 

当時わずか3歳の私ですが、すごく覚えています。

 

嫌でも毎日A・RA・SHIが耳に入ってくるくらい、本当に流行っていて。

(娘。のLOVEマシーンと2TOPだったよね)

 

その流れで翌年2000年のお遊戯会か何かの時、A・RA・SHIを使って踊ったんです。

 

それをきっかけとして、当時4歳ながら私は二宮くん及び嵐に初恋を捧げました。

 

ジャニヲタ人生の始まりです。

 

と言っても当時は自分でCDを買ったりTVを録画したり出来ない歳だったので、事あるごとにお母さんに泣き喚いてお願いして、出来る範囲で嵐を追いかけていた気がします。

 

そして、嵐を追いかけていると必ずしも視界に入ってくるJr.たち。

 

その延長線上で、2002年、当時6歳の私は結成したてのYa-Ya-yahに出会いました。

 

当時の私は、勇気100%/世界がひとつになるまでのCDを買ってもらいたくて、塾のテストでオール満点を取って全国1位になるために頑張るような小学1年生でした。

 

いっぱいの大きいお兄さんに囲まれながらステージの真ん中で歌う、薮宏太くん。

 

私は彼を好きになりました。

 

やぶやぶやぶやぶ言われながら可愛い可愛いと甘やかされながら、澄んだ歌声を響かせる彼が年下の私からすればすごく格好良く見えて。

 

当時Jr.とは思えないくらい有名だったYYyの中で「誰が好き?」 とクラスの友達に聞かれれば「薮くん!」と答えてたなぁ。

 

今の言葉で言う所謂「担当」だったかと言えば少し違うけれど、嵐と並行してずっと応援していました。

 

2003年になるとYYyの番組が始まり、八乙女光くんという1人の男の子が加入しました。

(YYy、今考えても番組としてすごく面白かったよなぁ……) 

 

正直あまり覚えてないけれど、当時の私は「YYyに1人増えた!」くらいにしか思ってなかった気がします。

 

それはきっと、当時の私的にあまりにも光くんがスッと入ってきたから。

 

気が付けば、ステージの真ん中に立つ1組の幼きシンメに心を奪われていました。

 

それ以来、YYyへの興味がより増して、番組も意識的に観るようになり、他のJr.の存在も多く知るようになりました。

 

2004年、当時8歳の私は変わらず嵐が大好きで(たしか櫻井がストレートで慶応を卒業したことによりデレ期に入っていたはず)、でも相変わらずYYyもすごく人気で。

 

いつものようにYYyの番組を観て、薮くん格好良いなぁ光くん格好良いなぁ、面白いなぁ、って思っていたら。

 

その2人じゃない全く違う人の無邪気な笑顔にきゅんっっっとなりました。

 

本当に、音を立てながら心臓を直接鷲掴みにされたように、その一瞬の笑顔とちょっと変わった笑い声に惹かれたんです。

 

これが、伊野尾くんとの出会いでした。

 

(厳密に言えば、存在を知ったのはもちろんもう少し前の話だけど)

嵐やYYyというグループありきで好きになってきた今までのジャニーズとは違って。

 

初めて個人、その人単体に心を奪われて、好きになったのが伊野尾慧くんでした。

 

(結果論ではあるけれど)それまで歌う姿や踊る姿を見て応援をしてきた幼きジャニヲタは、多分この時、人生で初めての「担当」に出会ったんだと思います。

 

正直詳しく覚えてないんです。

 

その日のYYyの放送がどんな内容だったとか、その時伊野尾くんが何をしてたとか、すごく重要なことだし私自身もすごく思い出したいのに、全然覚えてなくて。

 

ただ、心を奪われた瞬間のあの笑顔とちょっと変わった笑い声だけは鮮明に覚えてて。

 

まぁでもきっとそれも「担当」だからこそなのかなって思ってます。

 

頭の回転が早くて、でも少し周りとズレてるところもあって、大人たちに愛されてて、女の子かって言われ続けてて、気に入らないことあるとカメラ回っててもすぐ悪態つくし言い訳するし。笑

 

伊野尾慧くんはそんなJr.だった記憶がある。

 

そこから2007年9月24日まで、長かった。

 

本当に長かった。

 

本当に本当に長かった。

 

もちろんJ.J.としての活動は沢山あったけど、メンバーの中島裕翔は1人でレギュラー番組持っちゃうし、山田涼介とかいう凄い後輩は入ってくるし、なんか当時のJr.はやたらみんなJ.J.のメンバーになるし、そのせいか結局J.J.の範囲よく分かんなくなっちゃうし、笑

 

そんな間にも伊野尾くんはどんどんお兄さんになっていって、どんどん格好良くなっていって、私も少しずつ少しずつ大人になっていって。

 

「そろそろ伊野尾くんがデビューした姿を見たい」

 

いつの間にかそう願うようになりました。

 

ついでに言うと「早くYYy正式にデビューしてよ!後ろ詰まってるよ!」とも思ってました。笑

 

もう周りのJr.は気付けば後輩だらけになってて。

 

「今日のこの番組観てたら後ろに伊野尾くん居るかな?」とか「え!今の伊野尾くんだった?今日やっぱり居る!?」とか、そういう日々も楽しい。

 

楽しいけど。やっぱり「いい加減もっとメインで見せてよ」そう思ってしまうことも段々増えてきて。

 

そんなある日、Hey!Say!7がCDを出すことになって。

 

「いやそのメンバーならJ.J.でいいじゃん、なんでよ」

 

そう思ったことが懐かしい。

 

もちろん当時J.J.担だった私としては5人のことも大好きだったから嬉しかったし、曲も大好きだったし、クラス中の人にCD貸してあげて、流行らせて、本当に幸せだった。

 

小6になった私は、エンリピしながら受験勉強の励みにした。

 

ただ、それと同時に「また後輩に抜かされていくのかな」って思わざるを得なくて、伊野尾くんのために何をしてあげられるんだろうってすごく切なくなる期間だった。

 

パフォーマンスする7の後ろに、7と同じ衣装でもなく、他の大勢のJr.と同じ衣装という訳でもなく、少し特別な衣装を着て踊る伊野尾くんが居て。

 

7の後ろに沢山居るJr.のセンターで踊る伊野尾くんがめちゃくちゃに格好良くて。

 

マイクを持ってる訳じゃないけど、一生懸命口パクしながら7と肩を組んでカメラに抜いてもらってて。

 

最後のポーズのときに大勢のJr.と離れて7と一緒になってフォーメーション組まれてて。

 

それを観た私は「あとマイク持つだけじゃん」「なんであとそれだけのことなのにさせてもらえないの」って思ってすごく悔しかった。

 

でも、伊野尾くんが頑張るなら私はただひたすら応援しようと思って2007年の夏が過ぎた。

 

当時11歳の私には、それくらいしか出来ることがなかった。

 

2007年9月24日。私は一生忘れない。